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祖父に聞いたパチンコの歴史と時代の流れ!手動から自動・4円から1円へ!

      2015/12/05


皆さんは夏休みはどこか行かれましたか?

筆者は、毎年実家に帰って久々に会う家族とゆっくりと過ごします。

今年も同じように過ごしている中、たまたま祖父とパチンコの話になり、パチンコの歴史や当時の出来事について話してくれました。

そんな貴重な話を今回このブログで発信していきたいと思います。

 

私がパチンコと付き合いだしたのは、大学時代に友人に誘われてで、その頃ははまだ立っていました。

天に球を入れるのですが、天の釘の並びが平行の台を選びます。

その頃は、釘師との戦いでした。

その後、風車を発明した人がいて、これによって球があっちにこっちに散らばって面白くなりました。

この人は、あえて特許は取らなかったそうです。

 

またパチンコのプロもいて、その球さばきはまるで芸術でした。

常に5つくらいの球が盤の中を回っていました。

左手を寿司を握るようにして、そこに球を入れて、親指ではじくのですが、プロくらいになると左の親指の爪が黒くなっていました。

やはり球の汚れが付くのでしょう。

最初に無駄球を打って、天の釘を平行にするのだと。これぞプロの技ですね。

 

当時は、ある程度出すと打ち止めという制度があり、そこで終わりでもう打たしてくれませんでした。

私の家の近くにも5軒のパチンコ屋さんがあり、坂の下から坂の上の方へとパチンコ屋さんを渡り歩いたものです。

朝の10時から夜の8時まで立ちっぱなしでしたが、よく体がもったものです。(笑)

 

大学の授業の合間によく下北沢でパチンコをやっていて、その後教室に戻るとパチンコ屋で会った学生さんがいました。

それで仲良くなって、友人になった方が4人くらいいました。

よくつるんで新宿や渋谷に行ったものです。

その友人達とは今でも年賀状やメールのやり取りをしています。

 

その後、パチンコも座ってやるようになり、球が自動で出るようになりました。

この頃は、まだパチンコ依存症というような言葉はなく、健全な遊びだったのでしょう。

その後に液晶が出てきて、「777」が出てきたのは、衝撃でしたね。

ギャンブル性が出てきて、これが出るとすぐに1箱くらいはたまるのですが、「777」が出たと言って、失神した人もいたとか。

そして今度はコンピューターとの戦いとなり、昨日や一昨日の出た足跡をどう読むかになります。

この頃から素人も手を出すようになり、女性陣もやるようになって、駐車場に子供を置いてパチンコに熱中し、子供を死なせたという事件が話題に上がるようになりました。

こういった事件で「パチンコ依存症」が話題になりましたが、私も当時は大分入れ込んでやったものです。

 

その後定年して、年金生活者になりましたが、経済的な不安からもう4円パチンコはできませんね。

4円パチンコは負けると、1回で2万円や3万円は負けてしまいます。

最近は1円パチンコが出てきて、儲からないですけど数千円で遊べます。

まあ年寄りの暇つぶしですね。


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