加藤明(元バレーボールペルー女子代表監督) ペルー国民に愛された国民的英雄の日本人! | ホット一息。

ホット一息。

ホットな話題を、一息ついてるあなたへ

*

   

加藤明(元バレーボールペルー女子代表監督) ペルー国民に愛された国民的英雄の日本人!

      2015/12/08


20日のフジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」では、日本から遠く離れた異国の地で女子バレーチームを育てた1人の日本人が紹介される予定です。

 

ペルーでバレーボールをしている人ならば、間違いなく知っているであろう日本人の名前があります。

「加藤明」

皆さんの中にもご存知の人がいるかもしれませんね。

日本で「東洋の魔女」が全盛だった時代に、ペルーへと渡り代表監督を務めた人です。

 

当時のペルーは、南米ではともかく、世界的には下から数えたほうが早い位置にランキングしていました。

しかし、加藤さんが代表監督を務めて3年程で、ペルーは女子バレーボールで強国の仲間入りを果たします。

特に1980年代はペルー女子バレーボールの黄金時代とも言える時期で、南米選手権での4連覇をはじめ、オリンピックでもメダルを2つ獲っています。

加藤さんは、1952年に病気のために代表監督を辞め、1982年に病死してしまいましたが、その時には首都リマで弔意を表す車のクラクションが鳴り止まず、葬儀には約5万人もの参列者がいたそうです。

また、サッカーの試合中に訃報の速報が流れるとスタジアムは一気に静まり返り、翌日の新聞では「ペルーは泣いている。」という見出しで報じられ、ペルーの国中が悲しみに包まれたという話も残っています。

80年代のペルー女子バレーの躍進は彼の功績だと多くの人が思っているそうで、「アキラ・カトウ小中学校」が設立されたり、お墓は歴代大統領と並んでいて、今でも献花に訪れる人もいるほどペルーの国民に愛された日本人です。

 

残されている加藤さんに関するエピソードから、彼はかなりペルー女子バレー界に献身したことが伺えます。

それまでのペルー女子バレーには無かった練習方法や指導の厳しさから非難もかなりされたそうですが、それにめげることなく、また厳しくするだけでなく、すき焼きを振る舞うなどのフォローもしつつ実績を残したのは同じ日本人としても誇らしく思います。

 

そしてスポーツが持つ影響力の大きさを実感します。

南米は日本の裏側に位置するにも関わらず、親日的な国が多いそうです。

それはきっと、加藤さんのようにその国のために尽くした日本人の存在があったからでしょう。

よく日本人が外国で活躍する時に、仕事に対する姿勢や職人魂のようなものが背景として挙げられることが多いですが、加藤さんのように「相手のために力を惜しまない」心が大和魂の本質ではないかと思いますね。


 - ホットな記事 ,


error: Content is protected !!