「北海道」の名付け親で幕末の北方探検家の松浦武四郎! | ホット一息。

ホット一息。

ホットな話題を、一息ついてるあなたへ

*

   

「北海道」の名付け親で幕末の北方探検家の松浦武四郎!

      2016/01/14


皆さん「北海道」と「三重県松坂市」の意外な関係についてご存知ですか?

「どちらも牛肉が美味しそう」なんて思ったあなた、それも間違えではないのですが、実はこの2つの土地には意外と知られていない関係があるのです。

この2つの地名を繋ぐキーワードとなるのが「松浦武四郎」という人物の名前です。

この名前を聞いたことのない方も多いと思いますが、実はこの人物こそが北海道という名前の名付け親なのです。

24日のNHKの「歴史秘話ヒストリア」で取り上げられる予定ですのでご覧になってみてください。

 

その武四郎は1818年、現在の三重県松阪市に生まれました。

彼は子供のころから各地の名所を紹介した本(今で言うガイドブックでしょうか)を愛読していたそうです。

生まれながらに旅人のマインドを持っていたのかもしれませんね。

余談になりますが全国を旅して歌を詠んだ松尾芭蕉も三重県出身。

偉大な旅人を排出する土地なんでしょうかね?(笑)

筆者も旅好きの両親の元に生まれ、子供の頃から旅行のガイドブックや旅行記を愛読書とする子だったので、なんだかこの人物に親近感を覚えてしまいます。

 

さて旅に憧れる武四郎少年は16歳にして一人で勝手に江戸まで旅に出ました。

結構やんちゃな人ですよね。

結局この時は家族にバレて連れ戻されてしまうのですが、一度火がついた旅人魂は簡単に収まるはずもなく、17歳の時ついに全国をめぐる旅へと旅立つのです。

今でこそ国内旅行なんて気軽に出来る時代ですが、当時の人にしてみれば日本一周なんて今の世界一周、もしくはそれ以上に匹敵するような大冒険だったに違いありません。

 

そんな冒険家武四郎が蝦夷地に強い関心を寄せるようになったのは彼が20代半ばころのことでした。

当時ロシアが蝦夷地を狙っているのではないかという噂を耳にした彼は、そのことに危機感を覚え、北の大地へ渡ることに決めたそうです。

その後、何度も蝦夷地を訪れては調査を行い、報告書をまとめていた武四郎は次第に蝦夷地通として知られるようになっていき、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允という歴史の教科書に登場するようなビックネームも彼の元を訪れたといいます。

それくらい当時は、今のように情報の発達した時代ではないし、まして蝦夷に関する情報は貴重だったということでしょうか。

 

いわずと知れた蝦夷通の武四郎は、開拓使が設置されることになった際、開拓判官という役職に就任します。

そして、その時歴史は動いた!

彼は北の大地に蝦夷地に代わる新しい名前そして「北加伊道」という名前を政府に提案、それを元に北海道という現在の名前が決定したのです!

ちなみに「カイ」とはアイヌの古い言葉でアイヌ民族を示すそうです。

また、北海道各地の地名に関してもアイヌ語の呼び名を尊重してつけられていますよね。

オーストラリアのアボリジニー然り、ニュージーランドのマオリ然り、今でこそ世界各地で先住民族を尊重するのが当たり前のようになっているけれど、当時の日本で先住民族に敬意を示した武四郎の思慮深さには尊敬の念を抱いてしまいます。

また武四郎が書いた蝦夷にまつわる本もたくさんあり、武四郎の生涯年表をザッと見ただけでも50冊くらいは出版していました。

ちなみに武四郎、なんと亡くなる前年まで旅を続けたというツワモノです。(笑)

筆者もいち旅好きとして体の動く限り旅を続けたいなぁと思います。


 - ホットな記事


error: Content is protected !!