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羽賀龍之介 怪我から強くなって復帰した柔道選手のWiki!Facebook・ツイッター運営中!父も柔道家?

      2015/12/01


12月4日から6日にかけて、リオデジャネイロ五輪代表選考会「柔道グランドスラム東京2015」が開催されます。

その大会に出場を予定している今夏の世界選手権金メダリストの羽賀龍之介選手を紹介したいと思います。

 

羽賀龍之介(はが りゅうのすけ)選手は、1991年4月28日に宮崎県で生まれました。

父親は元柔道選手の羽賀善夫さんで、1986~1989年の講道館杯で4度に渡って3位内に入賞し、うち1987年度には優勝しています。

母親はインターハイや国体に出場経験のある元競泳選手です。

TwitterやFacebookもやっていて、試合や他の選手との写真が多く、彼の人となりが垣間見ることができます。

 

羽賀選手は家族で埼玉県に越してから、5歳で柔道を習い始め、小3の時に横浜に引っ越してからは、朝飛道場で稽古を続けました。

朝飛道場は現在も開かれていて、父親の善夫さんは指導者として活動しています。

そして東海大相模高校1年生の時、金鷲旗高校柔道大会で史上初の20人抜きを成し遂げました。

金鷲旗高校柔道大会は、全国大会としては1972年から続く5人勝ち抜き制の高校柔道団体戦で、高校柔道の三大大会の1つです。

この金鷲旗高校柔道大会からは多くのオリンピックメダリストが誕生しています。

高校3年の時には、インターハイでもオール一本勝ちで100kg級を優勝。

東海大学に進学してからも、19歳以下の大会の全日本ジュニア、別名JOC杯で2010年にオール一本勝ちで優勝。

そして、本格的なシニアデビューとなる講道館杯でも2010年、11年と2年連続で優勝を遂げています。

親子で講道館杯を勝ち取っているのですね。

同じ2011年には、8月のユニバーシアードでも個人戦でオール一本勝ちの優勝。

羽賀選手の活躍ぶりは凄まじい勢いですね。

それからも順風満帆の競技生活が続き、栄光を手にし続けるものと、きっと本人も周りの人も思っていたことでしょう。

 

ところが、2011年9月のJOC杯の準決勝の試合で左肩を脱臼し、2012年に手術をします。

その後は不振が続きました。

きっと、羽賀龍之介選手にとって、そして周りの人達にも、一番苦しい時期だったと思います。

しかし、2014年にちょうど旭化成に所属してから、徐々に復調の兆しが見えて来ます。

全日本選抜選手権大会と講道館杯でまずは準優勝し、柔道グランドスラムでも3位に入りました。

2015年は、2月のヨーロッパオープンで5試合オール一本勝ちの優勝、柔道グランプリでも6試合のうち5試合を一本勝ちで優勝しました。

そして8月29日、世界選手権100kg級に初出場して見事に優勝を飾ったのです。

 

実は前年の2014年には、100kg級は選考で勝てる日本代表選手が見当たらないと考えられて、それまでのオリンピック及び世界選手権において初めて代表の出場が見送られていたのです。

その翌年に出場したことは、エース階級の日本代表として初出場したことと相まって、羽賀選手のプレッシャーは相当なものだったと推測できますよね。

そんな状況の中で優勝したのは、実に立派で本物の強さを感じます。

 

羽賀龍之介選手には、リオデジャネイロ五輪代表選考会「柔道グランドスラム東京2015」を勝ち抜き、リオオリンピックでの金メダルの活躍を大いに期待したいと思います。

 


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